なぜ日本では少女時代よりKARAのほうが人気があったのか? K-POPブームに見る韓国社会の問題点

社会
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2019年も半分が過ぎた今日にする話題ではありませんが、今回は日本でK-POPブーム(2010年から2011年のK-POPブーム)を巻き起こしたKARAと少女時代を通じて、韓国社会の問題点を探っていきたいと思います。

まずは、KARAと少女時代について少し説明します。
KARAと少女時代は、共に2007年にデビューしているのですが、デビュー当初から注目されていた少女時代と比べ、KARAはほとんど注目されておらず音楽賞の新人賞にノミネートすることすらありませんでした。
更にKARAは、デビュー翌年にメインボーカルのキム・ソンヒ が脱退してしまい、1年ほどまともな活動できない状態が続きます。
一方、少女時代は、ライバル的存在だったWonder Girlsがアメリカへ本格的に進出したことで空いたNo.1女性アイドルグループの座に見事収まり、誰もが認めるの存在へと成長しいます。

KARAも新しいメンバーを加え再活動を始めますが、少女時代との間についてしまった差を簡単に埋めることなどできるわけもありません。
2009年の夏には、日本のデビュー曲にもなった『Mr.』の腰振りダンスが話題となり人気は上昇しますが、それでも少女時代との人気には大きな差がありました。

こんな2つのK-POPアイドルグループですが、日本での人気は逆転し、KARAのほうがより高い人気を得ることになります。
そもそも2010年に始まるK-POPブームはKARAから始まっており、KARAがいなければ少女時代が日本で流行ることはなかったでしょうが、少女時代がいなくてもKARAは日本で流行ったものと思われます。
このようにK-POPブームの主役がKARAだったことは疑いようもないのですが、韓国人は国内で大きな差のあったKARAと少女時代の人気が、日本で逆転している現象に相当の不思議を感じたかもしれません。

では、なぜKARAは日本人にあんなにも受け入れられたのでしょうか?

それは、KARAが日本人にとって馴染みやすいアイドルだったからです。
日本人にとっての韓国人タレント(日本にやってくるようなアーティストや俳優)は、少し斜に構えていて、メディアで大笑いしている姿を見せないなど、あまり本心を見せないような感じで、かなり近寄りがたい存在というイメージがありました。
少女時代は、正にこういったタイプのアーティストでした。
一方のKARAは、日本のアイドルのように親しみやすく、外見だけでは語れない可愛らしさがあったのです。
これが日本と韓国で、KARAと少女時代の人気が逆転した理由です。

実は、かつての日本の芸能界も、KARAのようなタイプよりも少女時代のようなタイプのタレントが好まれていました。
1969年にヒットした『ブルーライトヨコハマ』(発売は1968年の12月)を歌った“いしだあゆみ”は、フランス人形のような見た目でとてもとても同じ人間とは思えないような近づきがたいスター性をもっていました。
しかし1972年に『ひとりじゃないの』を歌った天地真理は、親しみやすい存在で国民的アイドルとまで称されます。
この短い期間に何があったかというと、1970年の『おくさまは18歳』の放送で、このドラマに主演した岡崎友紀が日本における元祖アイドルと呼ばれる存在なのです。
岡崎友紀の登場までは、日本の芸能界における人気者はスターと呼ばれていたのですが、彼女の登場以降アイドルと呼ばれるようになり、可愛くて愛嬌のあり親しみやすいという日本独自のアイドル像が確立していきます。
KARAはこういった日本に脈々と続くアイドル像に沿ったグループだったのです。

一方、韓国では日本のアイドルのような愛嬌のある存在よりも、少女時代のようなスタイルや顔立ちなどが良く近寄りがたい感じのするスターのほうが好まれます。(KARAの成功で多少変化も見られるようだが)
しかし少女時代は現実離れしすぎた存在であり、一般層とのギャップがとても大きくなっています。

韓国では、こういった現実的な実力とかけ離れた見てくれの良さを非常に気にする傾向にあるのです

例えば、スポーツでいえばオリンピックのメダル獲得数です。
近年の韓国は、日本よりもオリンピックのメダル獲得成績が良いケースが目立っていますが、その一方で、世界陸上では未だメダル獲得がなかったり、世界水泳でも後にドーピングが発覚した朴泰桓選手の1人しかメダルを獲得したことがありません。
結局、韓国はマイナースポーツでオリンピックのメダルを獲得しているに過ぎず、見てくれだけのメダル獲得順位ばかりを気にしているのです。

経済発展などの分野でもこういった傾向は見受けられ、以前書いたソウルの住宅事情もそうですし、あり得ないような建設物の事故が起こるのも、見てくればかりを気にする韓国社会に原因の一端があると言えるでしょう。
セウォル号の沈没事故もこのような歪みが原因で起こった事故と言えます。
韓国人が“現実的とかけ離れた見てくれの良さを気にする”もっともわかりやすい例は、美容整形の多さです。
韓国における外科的手術を伴った美容整形の数が、1人当たりで日本のおよそ3倍に及ぶというデータが示されています。
今回の半導体製造素材の輸出規制についても、韓国人は国産化の機会を得て良かったなどと現実離れをした主張する人も多いそうですが、そんな簡単な話ではないことぐらい少し考えればわかるはずです。

このように、韓国社会では実際の実力以上のものを求める傾向がとても強いのですが、その原因は同じ民族で国が2つに分断され未だ戦争が終結していないことが大きいと思われます。
北朝鮮も外国人が訪れる平壌だけを無理やり発展させるなど、実力以上のものを見せようと必死にアピールしていることは日本人の多くが理解していることでしょう。
結局のところ、韓国と北朝鮮は自分の国をよく見せようとお互いをけん制し合っているわけです。
韓国は既に十分な経済発展をしており、本来ならこういった部分は薄れてきてもいいわけですが、今でも見てくれを気にするという感覚が抜けきれいないようです。
このような事情から、私は長い目で見れば韓国と北朝鮮は一緒になったほうが日本にとって好材料だと思っています。
そもそも単純に、異常な状態な国が極めて近い場所にあることは望ましくありません。

見てくれを気にして“無理やりでも結果を残す”という感覚は、韓国が発展する原動力になった部分もあるでしょうが、しかしそれは、大きな不安要素として現在に残っているように感じます。

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