三・一運動から見える日本の朝鮮統治の健全さ

歴史
この記事は約4分で読めます。

少し書く時機を逸してしまいましたが、今回は三・一運動について書きたいと思います。

三・一運動とは、日本統治時代のソウルで起こった暴動事件で、33人の宗教家が朝鮮の大日本帝国からの独立を訴えることで始まりました。
1919年の3月3日には、大韓帝国の初代皇帝である高宗の葬儀が予定されていたのですが、それに合わせる形で3月1日に上記の宗教家たちが朝鮮の独立宣言書を読み上げ、騒動が広がっていったのです。
この暴動は5月まで続きましたが、日本側の警察や軍隊の制圧により収まることになります。

この暴動が始まった3月1日は、現在の韓国では日本統治時代における日本への抵抗を象徴する日となり、祝日にまでなっています。
そして、今年は三・一運動が起きてから今年でちょうど100年ということで、メディアでも大きく取り上げられました。

韓国(当時の朝鮮)側の歴史家によると、三・一運動における朝鮮人の被害は、

死者:7,509人
負傷者:15,849人
逮捕者:46,303人
焼かれた家:715戸
焼かれた教会:47つ
焼かれた学校:2校

とのことですが、これは被害者側の意見ということで水増しがあるのではないかと疑われています。
司法の記録によると、三・一運動の被疑者は12,668人で、その内、起訴された者が6,417人、不起訴処分になった者が3,789人となっています。(残り1,151人は当時の資料で調査中となっている)
更に起訴された者の中で、有罪判決を受けたのは3,967人です。

しかし、三・一運動に関する事件で有罪を受けた人物の中に、死刑や懲役15年以上の重い刑を受けた人も1人もいません。

騒動のきっかけを作った宗教指導者たちですら、8名の懲役3年と6名の懲役2年6ヶ月がもっとも重い刑で、事件の大きさの割に軽微な罰しか受けていません。

当時の国際社会は、ほとんどの国が植民地を持つか植民地になるかの二者択一だった帝国主義の時代で、植民地側で反乱を企てた政治犯などに対して、宗主国は平気で死刑の判決を下していました。
植民地を持つ宗主国にとって植民地の国民による暴動はもっとも恐れる行為であり、そういった芽を感じた場合はすぐに取り除くのが基本となっています。
現在でも中国など共産国では、政治犯に対しては生涯に渡って拘束や軟禁などして自由を奪っていますし、北朝鮮では、政治犯はほぼもれなく殺されると言っても過言ではありません。
それどころか北朝鮮は、政治犯でなくとと政敵になりえる人物は始末される運命にあります。
このことは金正男氏の殺害事件を見ても明らかでしょう。
更にナチスドイツに至っては、障害者やユダヤ人や有無を言わさずに殺しています。

しかし、帝国主義の時代の中で起きた三・一運動の被疑者に対し当時の日本が下した司法判断は、考られないぐらいまともなものでした。
この事件の裁判結果を見れば、当時の日本が朝鮮人に対し不当な扱いなどしていなかったことがよく分かるかと思います。
ハッキリ言って、当時の日本は植民地をもつ国の中で1番良識を持っていたと言っても過言ではありません。

日本人は西洋人と違ってアジア人に対する差別意識が低く、特に見た目のほとんど変わらない東アジア人に対しては、より差別意識はありませんでした。
また当時の日本は、非西洋国で唯一列強国に肩を並べる存在になるために、国際社会に認められようと国際法の準拠を過度に気にしていました。
このような理由から、暴動を起こした被疑者たちに対して不当な裁判などは行わなかったのです。
起きている暴動を抑え込むために死傷者が出たのは致し方ないわけですが、少なくとも当時の日本は司法の場において朝鮮人を差別するようなかったことは確実です。

当時の朝鮮半島は、日本が統治しなければロシアが統治することになったわけですが、スターリン時代は1千万人単位、レーニン時代も百万人単位の自国民を粛清しています。
もしロシアが支配する朝鮮半島下で三・一運動のようなことが起きれば、ものすごい数の朝鮮の人たちが粛清されたであろうことは間違いありません。

以上のような状況にもかかわらず、なぜ韓国国民は三・一運動を日韓併合時代の日本を糾弾する象徴みたいにしているのか?
私には全くもって理解ができません。

私から言わせてもらえば、三・一運動は日本の朝鮮統治が正しかった象徴の日にしてほしいとすら思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました