三・一運動から見える日本の朝鮮統治の健全さ

歴史
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少し書く時機を逸してしまいましたが、今回は三・一運動について書きたいと思います。

三・一運動とは、日本統治時代のソウルで起こった暴動事件で、33人の宗教家が朝鮮の大日本帝国からの独立を訴えることで始まりました。
1919年の3月3日には、大韓帝国の初代皇帝である高宗の葬儀が予定されていたのですが、それに合わせる形で3月1日に上記の宗教家たちが朝鮮の独立宣言書を読み上げ、騒動が広がっていったのです。
この暴動は5月まで続きましたが、日本側の警察や軍隊の制圧により収まることになります。

この暴動が始まった3月1日は、現在の韓国では日本統治時代における日本への抵抗を象徴する日となり、祝日にまでなっています。
そして、今年は三・一運動が起きてから今年でちょうど100年ということで、メディアでも大きく取り上げられました。

韓国(当時の朝鮮)側の歴史家によると、三・一運動における朝鮮人の被害は、

死者:7,509人
負傷者:15,849人
逮捕者:46,303人
焼かれた家:715戸
焼かれた教会:47つ
焼かれた学校:2校

とのことですが、これは被害者側の意見ということで水増しがあるのではないかと疑われています。
司法の記録によると、三・一運動の被疑者は12,668人で、その内、起訴された者が6,417人、不起訴処分になった者が3,789人となっています。(残り1,151人は当時の資料で調査中となっている)
更に起訴された者の中で、有罪判決を受けたのは3,967人です。

しかし、三・一運動に関する事件で有罪を受けた人物の中に、死刑や懲役15年以上の重い刑を受けた人も1人もいません。

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