靖国神社参拝及びA級戦犯合祀に関する中国からの批判と韓国からの批判の根本的な違い

歴史
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韓国が行う靖国神社参拝やA級戦犯合祀に対する批判については昨年記事にしましたが、中国からの批判についてはどう考えるべきでしょうか?

第二次世界大戦(太平洋戦争及び日中戦争)における日本の戦争指導者たちは、戦後に極東国際軍事裁判(俗に言う東京裁判)にかけられます。
この裁判では日本軍の中国侵攻に関する罪が問われ、死刑になった人(俗に言うA級戦犯)も複数人います。
この裁判に納得していない日本人も多数いるでしょうが、戦後の日本は事実としてこの裁判結果を受け入れたわけです。
また極東国際軍事裁判当時の中国は、現在の共産党政権ではなく国民党の中華民国だったり(裁判に参加していたのも国民党側の人間である)、上海事変など日中戦争のきっかけを作ったのは中国側だという主張など、様々な事情はあるとしても、当時の日本が中国に侵攻したことは事実であり、被害の責任がないとは言えない状況なのですから、中国からの批判についてはある程度真摯に向き合わなければなりません。

一方、昨年も書きましたが、韓国からの批判は的を射ていないもいいところで、日韓併合やその他の戦時中の日韓関係においても、日本人は誰も罪に問われていませんし、俗に言うA級戦犯の人も日韓併合と深いかかわりがない人ばかりです。
そもそも韓国は、第二次世界大戦期における被害者側であることすら疑わしいのに、どういう顔をして日本を批判をしているのか不思議でなりません。

仮の話として、AとBという人間が、Cの家に泥棒に入り捕まったとします。
この窃盗事件の主犯格はAであり、BはAに無理やりに誘われただけだと裁判で主張します。
しかし、無理やり誘われたからと言ってBが泥棒に入った罪はなくなりません。
もちろん犯行の主体性や情状酌量の観点からAよりだいぶ軽い罪にはなるでしょうが、Bが共犯者であることは変わらないのです。
にもかかわらず、CよりもBのほうがAを批判をしてら、何を被害者面しているんだと世間の人は思うことでしょう。
Aに対して、Cが要らないと言った慰謝料をBが要求してきたら、誰だってふざけるなと思うはずです。

以上、Cからの批判は受け付けますが、Bからの批判は一切受け付ける気持ちがないことをお知らせします。

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